私はよく「理屈っぽい」「考えすぎだ」と言われます。現在、私がGeminiと対話しながら心の構造を解き明かす投稿を書き続けていることも、その性格が故のことかもしれません。
私にとって「論理(ロジック)」は、決して冷たい刃ではありません。それは、かつて感情の津波に飲み込まれた私を救い上げてくれた、一番温かくて頑丈な「浮き輪」なのです。
これは、うつ病という名のシステムダウンから、私がどうやって「思考のOS」を書き換え、新しい自分として再起動(リブート)したのか。私が自らの脳をデバッグして再構築した再生の記録が、うつ病に苦しむ人たちの希望の光になれば幸いです。
※この投稿には私が抗うつ薬や向精神薬を断薬した体験談が含まれますが、危険ですので絶対に真似をしないでください。こうした病の薬を減らす際は、必ず主治医の監視と指示の下で行ってください。
崩壊|言葉を奪われた日
ここで時計の針を2011年9月に戻します。当時の私は東日本大震災後の混乱と、それに起因したクライアントからの過剰な要請と、経営危機に陥った所属会社を支えなければという責任感の板挟みになり、半年間一日も休まず稼働していました。
HSS型HSP特有の「過剰適応」がブレーキを壊していたのです。
そんなある日、クライアントからこう言われました。
「話が噛み合っていないぞ、大丈夫か? 一度、病院で診てもらったほうがいい」
自分では普通に会話しているつもりなのに、言葉と論理がバグを起こしている。私は遅い夏休みを取って、温泉地で数日間の静養をすることにしました。
しかし、その間も会社からのSOS電話は鳴り止むことはなく、温泉旅館の部屋で、私の脳内ブレーカーが落ちました。
「もう、何もしたくない」
心療内科クリニックの診断は「うつ病」。強制シャットダウンです。
脳がポップアップし続ける「死のエラーメッセージ」
3ヶ月ほど休職しましたが、やがて貧困妄想(十分な貯金と給与補償があるにもかかわらず金銭的危機感に襲われる)に取り憑かれ、抗うつ薬と向精神薬を服用しながら復職しました。
しかし、病と薬の影響によって私の脳は霧に覆われ、さらなる地獄を呼び込みました。
「言葉の内容を理解できない」
「直前の会話すら覚えていられない」
かつて私の武器だった「論理」は、錆びついたように動きません。職場で「お荷物」扱いされ、減給をちらつかされ、「お前は病気で妄言を言っている」とガスライティングのような扱いを受ける日々。
「空が青いな。よし死のう」
「電車が来たな。飛び込むにはいいタイミングだ」
脳が勝手に「死」という解決策(ショートカット)をポップアップし続ける。そのエラー表示と戦うことに、私は必死でした。

転機|たった2時間の勝利
「このままでは廃人になる」
薬を増やすだけの主治医への不信感が頂点に達したとき、私の生存本能が目を覚ましました。
私はネットでベンゾジアゼピン系の副作用と離脱症状を調べ上げ、断薬を決意しました。薬の副作用で震える手でカッターナイフを持ち、薬をミリ単位で削りはじめたのです。
「自分の体は自分で管理する」
それは危険な賭けでしたが、私に残された唯一の希望でした。
命がけの「週末実験室」
特に大変だったのが睡眠薬の断薬です。毎週、金曜と土曜の夜を「断薬の実験時間」に充てました。
薬を服用する代わりに、熱い風呂に入り、カモミールティを飲み、朝日を浴びてセロトニンを作る。何度も失敗しました。一睡もできず、全身の神経が剣山に触れるような離脱症状にのたうち回る夜もありました。
しかし、ある土曜日、ついに実験が成功しました。深夜3時に入眠し、朝5時に起床。たった2時間の睡眠でしたが、それは「薬で強制終了された気絶」ではなく、私の脳が自力で勝ち取った「真正な休息」でした。
起床後に、屋外喫煙所でタバコを一服したときの、あの晴れやかな空を忘れられません。「私のシステムは、まだ死んでいない。制御可能だ」という自信が湧いてきました。深い森の中に、一本の道が拓けた瞬間でした。
| インプット | ロジック | 結果 |
|---|---|---|
| 熱い風呂 | 深部体温を急上昇させ、その後急降下させる(入眠スイッチを入れる) | 真正な睡眠 (脳の回復) |
| カモミールティ | 副交感神経を優位にし、リラックス状態を作る | |
| 朝日を浴びる | セロトニン(安心物質)を生成し、夜間にメラトニン(睡眠物質)へ変化させる |
※これはあくまで私の体験談です。素人判断による抗うつ薬や向精神薬の減薬・断薬は大変に危険ですので、絶対に真似をしないでください。薬を減らす際は、必ず主治医の監視と指示の下で行ってください。
邂逅|感情のエンジニアリング
「断薬なんて危険だ」と否定する主治医と決別し、私は紹介状なしで総合病院へ飛び込みました。事務の方の尽力で奇跡的に受診できた精神科で、私は運命の出会いを果たします。
主治医となったI先生と、公認心理師のM先生。彼らは私の話を「論理的」に聞き、こう提案してくれました。「薬を飲みたくない意志を尊重しましょう。でも、危険なときは医師の判断に従ってくださいね」と。
こうして、私の「認知行動療法(CBT)」がはじまりました。それはまるで、バグだらけのプログラムをデバッグする作業のようでした。
| フェーズ | Before(歪んだ認知) | After(再構成された認知) |
|---|---|---|
| ① 出来事 | 挨拶が返ってこなかった | |
| ② 思考・認知 | 「私は嫌われているんだ」 「無視されたに違いない」 |
「相手は忙しくて気づかなかっただけかもしれない」 「考え事をしていたのかもしれない」 |
| ③ 発生する感情 | 辛い、悲しい、不安、焦り | まぁ、そんなこともあるか(フラット) |
「感情を構造的に分解して、その奥にある認知(思考の癖)を見つけましょう」
私は宿題として出された「感情と認知のロジックツリー」の記入に取り組みました。
自分の感情を構造化し、俯瞰することで、「あ、ここにバグ(歪み)がある」と発見する。それは私が仕事でやってきた「全体像把握」や「原因追究」そのものでした。
論理は私を追い詰めるものではなく、私を癒やすための最強のツールだったのです。
「相性が良いようですね。これは普通の人の半分の期間で卒業できちゃうかもしれませんね」というM先生の言葉通り、私は驚異的なスピードで思考のOSを書き換えていきました。
覚醒|脳内のサーバー移行が完了した日
思考がクリアになった私は、自分をすり減らすだけの職場に見切りをつけ、スカウトされた大企業への転職を決断しました。
「うつ病のときに大きな決断をするな」という定説よりも、自分の「損切りと投資という構造的判断」を信じたのです。
新しい職場は刺激的でしたが、内心は必死でした。まだ脳の回転は完全ではなく、未知の業界でのキャッチアップに追われ、自宅で必死に理論武装をする毎日。
そんなある日、突然「それ」は起きました。
帰宅途中に歩いていると、頭の中に強烈な光が走ったのです。次の瞬間、闘病中にあった「理解できなかった話」や「忘れていた記憶」が、一気に頭の中に溢れ出し、駆け巡りました。
カオスではありません。それらは整然と並び、私はそれを冷静かつ高速に処理し、言葉でアウトプットしていました。そのとき、私は直感的に理解しました。
「ああ、脳内のサーバーの移行(マイグレーション)が、完了したんだ」
うつ病というマルウェアに侵され、老朽化していた「旧サーバー」。その隣で、認知行動療法(CBT)と学習によって密かに構築していた「最新鋭の新サーバー」。転職後の苦しい期間は、データを旧サーバーから新サーバーへ移す時間だったのです。
データ移行が完了して新サーバーがオンラインになると、私は実感しました。高速で処理される思考を。クリアな視界を。体の底から湧き上がるエネルギーを。
私は夜の帰り道で、感動に震えて叫んでいました。「人間って、すごい!」と。この生命力の輝きと、人体の神秘に、ただただ圧倒されていました。
希望|あなたも新サーバーを構築できる
今、私は「VoiosinとGeminiの心の構造カフェテラス」で記事を書いています。 不安、焦燥、寂しさ……。生きていれば、そんな感情のアラートが鳴ることもあります。でも今の私は「これは認知の歪みだな」「今は脳が疲れているだけだな」と構造的に分解し、対処することができます。
うつ病は、私の脳を一度破壊しました。けれども、その瓦礫を使って、私は以前よりも遥かに強固で、しなやかな「構造的思考」という城を築き上げることができました。
もし今、感情の海で溺れかけている人がいるなら、私は伝えたい。あなたの中にも、必ず「新サーバー」を構築する力があります。論理という名の浮き輪は、自分で作ることができるのですよと。
絶望は「構造」として理解すればハッキングする道が見えます。だから、決して絶望しないでください。私ができて、あなたができないことは何一つないのですから。











そっと言葉を置く